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2003年5月10日より開設しました。
大概は独断と偏見で浅はかに喋っているので考え方違うぞーって多くの方ごめんなさい。
2004年6月11日発売・ヤングアニマル12号・179話「ずいきの涙」 |
すごいよ理想すぎる展開だよー もうホントに今までエアマスターを読んできてこんなに、今まで漫画を 読んできてこんなに、こんな気分になったことは生涯初めてですよ…! 漫画を読んで、与えられない展開があるからこそ、人は二次創作という 手段を取ったり、理想の展開を考え、語ったりすると思うんですけど…。 今回のアニマルは。 私にとって、これは完全な理想の展開過ぎでした。 言い過ぎでもなく、感動を言い表すための大袈裟な言い回しでもなく、 ジュリエッタとマキという「架空のキャラクター」を見て、思っていた こと、これが二人にとって、「私の頭の中での」表現の帰結であると 思っていたことを、今回まさしく、まさか、 ヨクサル先生ご本人により表現されるなんて…! 私の頭の中の通りのこと、それがリアルな展開として「与えられる」 とは、夢にも思っていませんでした。普通夢にも思わないのですが。 普通こんなにドンピシャな事があってもいーんでしょうか。 っていうぐらい、ホントにホントに頭の中の理想通りの展開を今回 ヨクサル先生が描かれてしまった、と個人的すぎですが思いました。 ありがとうじゃないけど、ありがとうございます…!ヨクサル先生ー! そんなわけで、以下の今回の感想文は、もう俺節が留まるところを 知りません。もー主観全開でガンガン語ってしまっています。 申し訳ないですが、俺のエアマスターはこんなんじゃねえ!とか 私の解釈と果てしなく違いすぎる!という意見がもっともだと思う ぐらいもー書き散らかしてるので、そのあたりが大丈夫で、許容して くださる方のみ、お読み下さいませ。 それではどうぞ↓ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて坂本ジュリエッタですよ。 前回、前々回のアニマルから大炸裂の 坂本ジュリエッタですが。 もうセリフ回しからして、 地球全体絶対破壊ミサイルだとか スキな子の前で張り切る小学生だとか 直球ストレート言語が炸裂なんですが、 なんかもうとりあえず、前回だけでももう相ッ当に、全身全霊をかけて 告白していると思えたのですが、今回は更に、人間の心底をかけて マキに踏み込んだ感がありました。まさかここまで、告白のその上を いくような、そんな思慕をジュリエッタが表現し、体現して、言ってしまう とは思いませんでした…!スゲーよ、スゲーよ坂本ジュリエッタ!! ジュリエッタは今までも十二分にマキを「愛していた」と思うのです。 それは、今までアニマル感想文でも、100質でも、その他のものでも、 ずっとずっとそうであると、個人的な(笑)解釈をし続けてきました。 以下、今まで私がこっそり育ててきた俺節をごらん下さい↓ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37. 一番好きな男性キャラは誰?その魅力について心ゆくまで語りつくしてください。 坂本ジュリエッタ。デタラメに強いところと、デタラメで電波な性格がカッコイイです。 申し分ない容姿と条件を持っているのに、どうにも電波で、どうにも不器用、色男の外観 だけを残して、中身だけ親の愛情が不足してる時期の子供に挿げ替えたような、内外が アンバランスすぎるところが好きです。 マキにとってはひたすら迷惑だろーけど、ものすごく本気の勢いでマキを一万年愛しそうな ジュリエッタの思慕の強さが大好きです。その言葉の一つ一つのストレートさも気持ちよく、 「結婚する!」とか「愛してるの一言だよな」とか直球の言葉しか持たないところも好きです。 サイト内:エアマスター・100の質問より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56. 一番好きなセリフは誰のなんというセリフ? ジュリエッタの「マキは俺と似ているな、来いよ」というセリフ。 マキの狂気を会って2度で見抜いたのは、マキの表面だけ見たりジェニーだと浮かれて 一緒に暮らそうと思ったわけでも、浅い部分や一面性でマキを好きになったわけでもなく、 蹴っ飛ばしてくれるから好きという我侭な言い分はあれど、彼はちゃんとマキの本質をみていて、 それもひっくるめて、「俺と似ている」と理解して微笑み、「来いよ」と許容する懐を持っていることが いいなぁこいつ!と思いましたです。電波で子供なのに懐深いじゃないか!と(笑) (サイト内:エアマスター・100の質問より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「満足したことはあるか?俺はない」 「マキが最後のチャンスなんだ」 こう言い切れる28歳。即答してしまう28歳。 最後とか言い切ってしまえる28歳。 「そんな人生後ナシみたいなセリフ、あと20年は言いたくないね!」 とは別件での滝川ユウの言ですが、ジュリエッタの人生は一体いつから 後ナシだったのだろうと考えると、想像するに悲しくなってしまったりです。 もうだいぶ前に、「父親にジェニーを否定され」「気持ち悪いと言われ」 「自殺を図った」幼少時から、人生後ナシの絶望感を抱えていたとしたら、 それはけっこう根が深いかもとか…思いっきり想像いっぱいなのですが…。 否定されたくない、受け入れてほしい、生きていることを実感するほどの 「風を通して」ほしい、蹴り飛ばしてでも逃げないでほしい、愛してほしい。 こんな当たり前のことが、ごっそり根深く欠落しているとしたら、 そりゃあ並大抵の注ぎ方では満足したことなどないでしょうね…。 それ以前に”スイッチ”とやらに阻まれるわけだし。 それを思えば、確かにマキは、 ジュリエッタを否定しない ジュリエッタの狂気を受け入れる(闘いという形で) 生きていると実感するほどの感情を呼び起こしてくれる (子供のように笑うのはマキとの会話中だけ。その他の場合は表情1コしかないんかい、と言われるほど) 蹴り飛ばしてでも自分を止めてくれる(逃げるけど) とまあ、彼の要求水準を満たすだけの条件が揃っているわけであり。 (サイト内:第160話「満足できたかな?」感想文より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以上、ジュリエッタがいかにマキのことがスキかを個人的にガンガン 読み取った(笑)俺節だけでもこんなにあるとは思いませんでした…。 深読み大好きです。俺節大好きです。 思えば、エアマスターでマキとジュリエッタの出会いを見たときから、 戦いを見たときから、いろいろな、2人のその後の会話や絡み(言葉 通りの意味含む(笑))を見たときから、思っていることはいつも同じで、 語ってきたこともいつも同じでした。 ・ジュリエッタはマキをまっすぐ愛していて、 ・それはマキの本質をみていて、 ・マキが狂気を抱えていようが愛していて、 ・「俺と似ている」狂気ごとを許容している。 これ以上ないぐらいの目一杯の思慕だと、読んで思っていました…。 が、まだその上の最大があったと いうのですか!ヨクサル先生!! 体だけでも心だけでもなく、気持ちのうえだけでもなく、それを含めた、 人生も、人格も、他者と自己との境界線も、恐れも打算も、無意識も、 意識も、言葉も魂もすべてこの告白に「賭けた」そして「賭けられた」 「賭けてしまった」と完全に言い切れている、まさに全存在の告白。 簡単な言葉をいつも表現として、直球の手段として、ヨクサル先生は 選んでいますが。果たして人間は、子供のように簡単な、言葉通りの ことが言葉どおりに大人になってからも可能かといえば、絶対それは もう、大変に大変なことなのだと思うです。 その言葉を言うために、どれほどのものを賭けなくてはいけないのか、 どれほどのものを恐れなくてはいけないか…それは大人になるほど、 難しくなってくるのだと思います。 賭けるということは捨ててもイイと思うこととおそらく同意義です。 少なくともヨクサル世界ではそれと同意義ぐらいに踏み込み、賭けて いるのではないかと思います。 自分の人格や人生や恐れや、隠そうとしている本質の部分を露呈し、 それを賭ける=捨てる覚悟をするということは、ほんとに相当自分を 抉ることと同じことだと思います。そしてそれがぐいっと出来るぐらい、 ジュリエッタはマキへの愛で、人生以上に踏み込みまくったと。 ヨクサル先生の「踏み込んだ」という言葉を、更に借りるなら、 漫画といえど、人がこんなにたとえ描きたいと思ったとしても、 本当の言い切りで「踏み込んだ台詞を抉り描くことができるのか」 というのは、決して容易ではないよ!ヨクサル先生はスゲーよ!と 思いました。今回のアニマルの総感想ですは、ジュリエッタスゲーと、 ヨクサル先生スゲー。これに尽きます。ホントに尽きます。 ヨクサル先生スゲー。もう太字で書いちゃいます。 上に箇条書きであげたこととか、前回までのジュリエッタの思慕は、 おおむね「愛している」「地球が滅びても守る」と、グイグイ気持ちを 攻め出す愛だと感じました。前回から今回へのヒキの「この坊主を 倒したら俺を愛してくれ!」という言葉も、グイグイと押していますね。 そんな、一方通行な「押し出す愛」が、今回一歩、いや二歩以上 心底の奥へ踏み込んで、 「マキに愛されたいんだ」 という決着に到達したのではないでしょーか? 今回はここまででした〜。 |
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